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コメント

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    湯浅邦弘「孔子廟と焚書坑儒」

     はじめて台湾に留学した時、台北市内の孔子廟を参観しました。中国曲阜のそれに比べるとこぢんまりした建物ですが、とても印象深い造形だったので、今でも鮮明な記憶が残っています。
     孔子のみたまを祭る孔子廟は、魯の哀公が孔子生前の居宅を廟として祭祀したのに始まり、漢代以降、歴代皇帝によって整備されました。孔子を祭る儀式「釈奠」が挙行されたのもこの孔子廟です。
     その後、孔子廟は、儒教の伝播に伴い、中国国内はもとより、東アジアの儒教文化圏にも建てられていきます。建物には一定のルールがあり、神として、また王として祭られた孔子のために、皇帝建築様式が取り入れられました。
     例えば、黄色の屋根瓦。中国では、五行思想により、黄、青、白、黒、赤の五つの色が尊ばれましたが、中でも黄色は最も高貴な色とされ、この色を屋根瓦として使うことができたのは皇帝のみでした。また大成殿の柱には龍の意匠が施され、これを龍柱と言いました。龍も皇帝の象徴です。
     孔子廟にはこうした様式が取り入れられていて、それは台北の孔子廟でも同様でした。ところが、曲阜の孔子廟とやや異なる点も見いだされます。大きく反った屋根。またその上の両端にあるポールのようなもの。これは何でしょうか。
     実は、今から2千年以上前の故事に由来しています。秦の始皇帝は、中国を統一した後、思想統制を始めます。有害図書を焼く「焚書」、役立たずの学者を殺す「坑儒」です。あわせて「焚書坑儒」と呼ばれ、始皇帝の悪逆性を示す蛮行だとされます。
     この内、焚書とは、すべての書籍を焼いたというのではなく、歴史書・技術書・暦書などの実用書は除外されました。儒家のように秦の法治主義を批判する思想については徹底的に弾圧されました。そこで当時の儒者はその災難を免れるため書物を屋根の上に隠したというのです。それがこのポールで、これを「蔵経筒」といいます。経(文献)を蔵しておく筒という意味です。
     本を隠すために、なぜこのような形の筒が偽装されたのでしょうか。それは、当時の本の形が筒状だったからです。当時の書物は、「冊」の形をした竹簡に墨と筆で記し、横紐で綴じ、それを巻物のように巻いて保管・携帯していました。本を隠そうとすれば、筒状の入れ物が最も適切だったということです。
     もっともこれは伝承で、本当だったかどうかは分かりません。ともあれ、秦の始皇帝の焚書坑儒が孔子廟の造形に影響を与えるほど、中国世界には衝撃だったということは言えましょう。

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