新出土文献紹介

 

安徽大学蔵戦国竹簡(安大簡)

 2015年の初めに、安徽大学はひとまとまりの竹簡を入手した。専門家による鑑定と竹簡サンプルの年代測定の結果、その竹簡の年代は戦国時代であることが確認された。保存状態は良好で、完簡が比較的多く、1167までの番号が付けられた。竹簡の形制(形状や構造のこと)は多様で、長さは不揃いであり、最短のもので約21.3㎝、最長のもので約48.5㎝、幅は0.4~0.8㎝。長い竹簡の編縄は三道、短い竹簡は二道となっている。竹簡の背面には劃痕(斜めに刻れたひっかき傷状の線)や墨痕が少なからず残っている。主な内容は、『詩経』(国風の一部)、楚史類、諸子類(主に儒家)、楚辞類であり、人相占いや夢占いといった方面に関わる資料も含まれている。現在、整理・公開が進んでおり、2019年8月に『安徽大学蔵戦国竹簡(一)』(安徽大学漢字発展与応用研究中心編、黄徳寛・徐在国主編、中西書局)として『詩経』が、2022年4月に『安徽大学蔵戦国竹簡(二)』(『仲尼曰』『曹沫之陳』を収録)が公開されている。

 

海昏侯漢簡

 2016年9月、中国江西省南昌市の前漢時代の墓から大量の竹簡が発見された。埋葬されていた墓主は海昏侯劉賀。前七四年に前漢の第九代皇帝となったが、わずか27日で廃され、海昏侯に降格となった。
この墓からは5200枚余りの竹簡が出土し、その中には、『詩経』『礼記』『論語』『孝経』などの儒家系文献が多数含まれていた。現在は、北京大学によって初歩的な整理・釈読が進められており、2020年12月に『海昏簡牘初論』(朱鳳瀚主編、北京大学出版社)が刊行された。ただし、この中には竹簡の写真図版は収録されていない。
この簡牘の中で、特に注目すべきは『論語』である。海昏侯漢簡『論語』の竹簡数は、約500枚。そこには「智(知)道」と記された篇題と今の『論語』には見えない文章とが含まれていた。漢代初期において『論語』のテキストは、「魯論語」「斉論語」「古論語」の三種が伝わっていたとされるが、そのうち「知道」篇を持つのは「斉論語」である。すなわち、「智道」という篇題を持つ海昏侯漢簡『論語』は、まさしく「斉論語」である可能性が高い。
さらに、海昏侯墓の副葬品として、孔子の肖像画が描かれた屏風も発見された。これまで最も古いとされていた孔子像は南宋時代のものであったので、漢代初期にはすでに孔子の肖像画が『論語』とともに伝播していた状況が分かってきたのである。
海昏侯漢簡の全竹簡の写真図版が正式に公開されれば、中国古代思想史研究に新たな展開をもたらすことになるであろう。

 

荊州楚簡(荊州王家嘴楚簡)

 中国湖北省の荊州博物館が2021年6月に発見した、約3200枚あまりの戦国期の竹簡群(荊州王家嘴798号戦国楚墓より発掘)。その中には、『論語』の異本と考えられる『孔子曰』や『詩経』の一部分、また早くに散逸したと考えられてきた戦国期の「楽」(楽譜)に関する文献が含まれていた。
 『孔子曰』は、今本『論語』との対読が可能であるが、一部、『礼記』や『孟子』等の儒家文献と合致する内容も見えると公表されている。また、その他の前漢期の『論語』テキストと一定の関連が認められるものの、文章の構成は大きく異なっており、同一書とみなすことはできないという。当該文献は、安大簡『仲尼曰』との類似性も指摘されており、斉・魯系『論語』とは異なる、楚国の儒者の間に伝播していたテキストであった可能性があるとされる。
 また、発見された『詩経』は、今本『詩経』十五国風の大部分と対読可能であり、さらに、戦国期の「楽」(楽譜)に関する文献の考古学的発見も史上初のことである。
 戦国楚墓より発掘されたこれら新資料の図版が公開されれば、『論語』や『詩経』『楽経』等の形成過程解明に大きな進展が期待できる。

 

荊州漢簡(荊州胡家草場西漢簡牘)

 2018年10月から2019年3月にかけて、中国湖北省の荊州博物館は胡家草場において18基の古墓を発掘した。そのうちM12墓からは4642枚の簡牘が発見され、出土器物の特徴や文字によって、前漢初期の文帝時期の墓葬であり、下葬年代は遅くとも文帝後元元年(前163年)頃と推断された。簡牘の内容は、歳紀・律令・暦日・日書・医雑方・簿籍・遺冊等の七類に分けられる。
2019年10月下旬に全簡牘の赤外線スキャンが完了し、初歩的な釈文も完成した。2020年1月下旬には、全簡牘のカラー写真の撮影が完了した。そして、2021年8月に、『荊州胡家草場西漢簡牘選粹』(荊州博物館・武漢大学簡帛研究中心編著、李志芳等主編、文物出版社)が刊行され、192枚の簡牘(歳紀9枚、律令104枚、暦日22枚、日書31枚、医雑方25枚、簿籍1枚)の原寸大写真と拡大写真、釈文が公開された。
特に注目を集めているのは、『歳紀』である。二つの組に分けられ、第一組には秦昭王元年から秦始皇に至る時期に事件について、毎年一簡、通欄で(竹簡一本、全体を使って)書写され、ある年には月・日も記載されている。第二組には「歳紀」という題が見え、秦二世から前漢文帝に至る時期の事件について、毎年一簡、月によって分欄(欄を分けて)で書写されている。これらは『史記』『漢書』の記述を補う資料として極めて重要であると考えられる。